Squadronal colours
チャールズ1世の時代まで王国海軍はひとつの艦隊でした。
国王の代理人として大提督(Lord High Admiral)が、艦隊の指揮を執り、副提督(Vice Admiral)、後衛提督(Rear Admiral)は必要に応じて任命されていました。
そして1625年に大きくなった艦隊は、指揮統制の為3つに分割、各戦隊を色で区別(Squadronal colours)したのです。
Lord High AdmiraもしくはAdmiralが指揮 | 赤色戦隊(Red Squadron) |
Vice Admiralが指揮 | 青色戦隊(Blue Squadron) |
Rear Admiralが指揮 | 白色戦隊(White Squadron) |
将官旗(Admiral's Flag)はそれぞれ「赤」「青」「白」で、旗下の艦艇はそれぞれ「赤色軍艦旗(Red Ensign)」「青色軍艦旗(Blue Ensign)」「白色軍艦旗(White Ensign)」を掲げました。
王国海軍ではこのころまで、どうも海軍士官というのは大提督(Lord High Admiral)を除き必要に応じてそのつど任命されていたようで、きちんとした階級制度も無かったようです。また、海軍そのものもきちんと組織化されていたわけではありませんでした。海軍が組織化され、海軍士官の階級制度が確立するのは王政復古後のサミュエル・ピープスの時代になります。
その後クロムウェルの共和政府が倒れ、チャールズ2世の王政復古時に順番が入れ替わり
Admiralが指揮 | 赤色戦隊(Red Squadron) |
Vice Admiralが指揮 | 白色戦隊(White Squadron) |
Rear Admiralが指揮 | 青色戦隊(Blue Squadron) |
そして、チャールズ2世の時代に各戦隊がそれぞれ3つに分割されたのです。しかし、それは実際の艦隊・戦隊ではなく定員9名の提督の階級となりました。
階級 | 将官旗 | 軍艦旗 |
海軍元帥 Admiral of the Fleet | メインマスト ユニオンジャック | 赤色軍艦旗 |
白色戦隊海軍大将 Admiral of the White Squadron | メインマスト 白旗 | 白色軍艦旗 |
青色戦隊海軍大将 Admiral of the Blue Squadron | メインマスト 青旗 | 青色軍艦旗 |
赤色戦隊海軍中将 Vice Admiral of the Red Squadron | フォアマスト 赤旗 | 赤色軍艦旗 |
白色戦隊海軍中将 Vice Admiral of the White Squadron | フォアマスト 白旗 | 白色軍艦旗 |
青色戦隊海軍中将 Vice Admiral of the Blue Squadron | フォアマスト 青旗 | 青色軍艦旗 |
赤色戦隊海軍少将 Rear Admiral of the Red Squadron | ミズンマスト 赤旗 | 赤色軍艦旗 |
白色戦隊海軍少将 Rear Admiral of the White Squadron | ミズンマスト 白旗 | 白色軍艦旗 |
青色戦隊海軍少将 Rear Admiral of the Blue Squadron | ミズンマスト 青旗 | 青色軍艦旗 |
その後、連合王国の覇権の拡大とともに艦隊も膨張し実員も増えていき、1743年以降提督の定員が9名ということはなくなりましたが、海軍元帥(Admiral of the Fleet)だけは1863年まで現役提督中、最先任の1名のみが定員でした。
そして、1805年には赤色戦隊大将(Admiral of the Red)が増え、提督の階級は1864年まで10階級ありました。又、昇進は先任名簿順に概ね2年毎に自動的に行われました。
ちなみに、1812年の提督の数は以下のとおりです
階級 | 人数 |
海軍元帥 | 1名 |
赤色戦隊海軍大将 | 21名 |
白色戦隊海軍大将 | 20名 |
青色戦隊海軍大将 | 20名 |
赤色戦隊海軍中将 | 22名 |
白色戦隊海軍中将 | 19名 |
青色戦隊海軍中将 | 24名 |
赤色戦隊海軍少将 | 19名 |
白色戦隊海軍少将 | 17名 |
青色戦隊海軍少将 | 24名 |
合計 | 187名 |
ナポレオン戦争時代既に世界最大の海軍であった王国海軍と言えどもこれだけの提督が指揮を執るだけの艦隊・戦隊はありませんでした。従って提督に昇進したものの任務が無い、艦隊・戦隊の指揮を執ったことの無い提督もいて、検疫用の黄旗からYellow Admiralと揶揄されました。
さて、実際の艦隊は、海峡艦隊(Cannel Fleet)、地中海艦隊(Mediterranean Fleet)などとなりますが、通常司令官はいずれかの階級の提督が執ります。そしてその旗下の艦隊・戦隊の一般艦は、司令官が赤色戦隊中将であれば赤色軍艦旗と赤色就役旗を、白色戦隊少将であれば白色軍艦旗と白色就役旗をと言う具合に提督と同じ戦隊色旗(Squadronal colours)を掲げました。
しかし、海戦時にはこのとおりではありませんでした。例えば、1782年セイント諸島沖海戦では、フランス艦隊はフランス王家の白旗が軍艦旗であったため、艦隊司令長官ロドニー提督は白色軍艦旗と見間違える可能性を考慮し、自身は白色戦隊海軍大将、次席司令官フッド提督は青色戦隊海軍少将でありましたが、全艦隊赤色軍艦旗を掲げて戦うよう命令を下しています。もちろん、ロドニー提督はメインマストに白旗(セント・ジョージ旗)、フッド提督はミズンマストに青旗を掲げて戦っています。
又、1794年にフランス共和国政府は三色旗を軍艦旗として採用します。で、王国海軍の赤色軍艦旗や青色軍艦旗は、戦闘時の濃い砲煙の中では三色旗と見間違えることが度々あったようです。白色軍艦旗は一番三色旗と区別しやすかったため、ナイルの海戦時、ネルソン提督は青色戦隊少将でありましたのでミズンマストに青旗を掲げ、旗下の全艦は白色軍艦旗を掲げて戦っています。
1805年10月21日のトラファルガー海戦では、地中海艦隊司令長官ネルソン白色戦隊海軍中将は旗艦ヴィクトリーのフォアマストに白旗(セント・ジョージ旗)を、次席司令官コリングウッド青色戦隊中将は旗艦ロイヤル・ソブリンのフォアマストに青旗を、3席司令官ノーセスク伯爵白色戦隊海軍少将は旗艦ブリタニアのミズンマストに白旗(セント・ジョージ旗)を掲げて戦いましたが、全艦隊は白色軍艦旗を掲げて戦いました。これは、1805年10月10日のネルソン提督の命令「敵艦隊に遭遇時、わが指揮下の全ての艦は、白色旗を掲げること。又、ユニオン・フラッグをフォア・トゲルン・スティに掲げること。」によります。