Order of the Bath(バース勲爵士団)
イングランドの勲爵士団のうちガーター勲爵士団に次ぐ古い歴史を持つ勲爵士団であり、勲爵士(Knight)としても、その格式はガーター勲位に次ぐ高位の勲位でです。
バース騎士団は1399年ヘンリー4世により戴冠式を記念して創設されました。創設時は騎士団員であることを示す騎士団章のようなものは存在せず、単に騎士としての称号だけでした。叙任候補者たちが叙任式前日に沐浴して身を清めたことからバース(Bath)の名がついたとされています。以後、バース勲爵士は君主の戴冠式の席で叙任されるのが慣例となり、叙任式前日に沐浴し、翌日叙任されるという伝統は1661年のチャールズ2世の戴冠式まで続きましたが、名誉革命などのイングランド国内の混乱により中断されました。その後、ジョージ1世により戴冠式とは関係なく、高位の政治家や軍人に与えられる勲位として1725年5月11日に復活しました。
1725年のジョージ1世による復活時にガーター勲爵士団と同様に顎飾、星章、深紅の大綬(サッシュ)、ローブが制定されました。顎飾りは王冠とイングランド、スコットランド、アイルランド三国の花(バラ、アザミ、シャムロック)があしらわれ、顎飾りの先端部には星型の記章がつけられている。星型の記章の中央部には、イングランド、スコットランド、アイルランド三国の王冠が三角形になるように並べられ、周りには「三つがひとつにまとまる(Tria juncta in uno)」のモットーが刻まれています。星章も同じデザインです。また、大綬の先端につけられる記章は顎飾りの先端部と同じつくりとなっています。
1815年までイングランドにはガーター勲爵士団とバース勲爵士団しか存在しませんでしたが、ガーター勲爵士団は24名の定員に加え王族と高位の世襲貴族及にしか与えられなかったので、ナポレオン戦争が終わるまで類い希なる功績を挙げた海軍提督、陸軍将軍にバース勲位が与えられました。
叙勲対象者は武官(軍人)のみであり、また単一位階だけでした。類い希なる功績を挙げたものにしか授与されないという貴族に列せられるのに継ぐ栄誉の証でありました。
海軍大佐に与えられることはほとんど無く、通常海軍大佐が騎士叙任(knighted)される場合ではKnight Bachelor(下級騎士)に叙任されました。ホーンブロワーに登場する、サー・エドワード・ペリュー艦長は、フランス革命戦争初のフランス軍フリゲート艦「クレオパトラ」拿捕とフランス海軍の秘密信号書入手の功績によりジョージ三世自ら騎士叙任を授けていますが、この時はKnight Bachelorに叙せられています。彼がバース勲爵士に叙せられたのは1815年になります。Knight Bachelor(下級騎士)はバース勲位のように星章など身につけるものは無く、「サー」を名乗れるのみでした
ですのでホーンブロワー「勇者の帰還」でホーンブロワーがバース勲爵士に叙せられたのは極めて希なケースとなります・
- Knight Companion of the Bath(KB)
ネルソン提督が制服につけていたKBの刺繍製の星章のレプリカです。
Admiral George Brydges Rodney, 1718-92, 1st Baron Rodney
左肩からバース勲爵士の深紅の大綬(サッシュ)を斜めにかけています
1815年摂政皇太子ジョージにより、文官用が新設され、また位階は次の3階級に区分されました。
- Knight Grand Cross of the Bath(GCB)
- Knight Commander of the Bath(KCB)
- Companion of the Bath(CB)
GCB正装「Admiral George Keith Elphinstone, 1746-1823, 1st Viscount Keith」
顎飾、赤いローブに星章をつけています
位階の区分によりそれ以前のバース勲爵士は全てGCBに叙任され、 GCBの星章はそれまでの単一位階時代のバース勲章と同じデザインとされました。 KCBとCBのデザインは階級に準じて大きさの異なる星章と中綬章(首にかける勲章)となりました。
ロンドンのウェストミンスター寺院内部にあるヘンリー七世チャペルがバース勲爵士団のチャペルとなっています。天井には現在のGCB受勲者の大紋章旗がさがり、壁には過去のバース勲爵士の大紋章がはめ込まれています。