Re: コネクションの威力
にっけさん、いらっしゃいませ~
まずは紅茶はいかがですか、もらい物ですがセイロン島内でのみ流通している物で薫り高くミルクティが絶品です。ささ、こちらのドイツのマロンケーキもどうぞ。席は日当たりの良いこちらにどうぞ。←ちょっと物真似ですね(笑)
さて、「Admiral's in the Agen of Nelson」のダンカン提督の項を読みましたところ確かに1780年と1782年の2度艦長職を辞していますね。そして、1783年のアメリカ独立戦争終了直前戦列艦フードロイアント、終戦後の平和時には戦列艦エドガー艦長職を得ています。
そこでコネの力ですが、ダンカン提督(当時は艦長)のこれが強力でして、当時の第一海軍卿ケッペル提督のお気に入りだったのです。
ダンカン提督は士官候補生時代、海尉からずっとケッペル艦長の下で仕え、艦長昇進もケッペル艦長の引き。ケッペル艦長が戦隊司令官の時の旗艦艦長として7年戦争を戦い勲功をあげています。その関係はボライソーと彼の部下たちのよう、へリックのモデルがダンカンなのかはわかりませんが、ボライソーのモデルがケッペルなのはアレクサンダー・ケントが言っています。
これだけのコネがあれば多少の我儘も「あいつは、仕方ないなあ」という具合だったでしょうね。それが証拠に、7年戦争とアメリカ独立戦争の間の平和時には「職をくださいませ~」と海軍本部に手紙を書いたけど半休職の身のまま。ところが最初に艦長職を辞した後、ケッペルが第一海軍卿になったとたんに砲90門艦ブレインハイムの艦長任命、ブレインハイムが西インド行きを命じられると艦長職を辞したにも関わらず、辞した翌月砲74門艦フードロイアント艦長任命と言う具合、そしてケッペル提督が第一海軍卿を辞した翌月ダンカンの乗艦エドガーは解役、彼は半給職の身となっています。
その後は、年功序列で提督に昇進、フランスとの開戦後は奥さんの義理の叔父ヘンリー・ダンダスとスペンサー卿のコネが物をいい、北海艦隊の司令長官職を得たわけですね。
ネルソンの時代に提督として名を残している、ハウ卿、フッド卿、ブリットポート卿、セント・ヴィンセント卿、サー・エドワード・ペリューなどのいずれも調べたところ何らかの大きなコネを持っていますし、ネルソンもそうです。「The Complete Navy List of The Napoleonic Wars 1793 - 1815」という王国海軍士官名簿を見ても、この人は誰の叔父だの甥だの、奥さんは誰の娘だのというのが実に多い、そういう人を見ているとやはり、「The Naval History of Great Britain : During The French Revolutionary And Napoleonic Wars」などの編年史に名が挙がっている人が多い。
コネの力を最大限活用し職を得たら、あとは実力。そして戦時には実力のあるものは勲功を挙げ、金と地位と名を残す。コネはあっても実力が無いものは一般に名すら知られていない。そういう時代だったのです。
>「ええ、いいんですか? そんなんで?」
というわけで当時の価値観では、「そんなんでよかった」のです(^^;;
「コネ」の力はこの時代、とっても大きかったのですね。
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コネクションの威力
(にっけ, 2006/4/22 16:25)
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