Captain's Log
2005/10/19 水曜日

本日は、ロンドン郊外のキューに行ってきました。キューといえば、キュー・ガーデンですが、ではなくて地下鉄キュー・ガーデン駅をはさんで反対側にあるパブリック・レコード・オフィス。
トラファルガー海戦200周年記念でここで、キャプテン・クック、キャプテン・ブライ、ネルソン提督ゆかりの文書が展示されています。残念ながら写真撮影は禁止なので、主だったものを以下に。

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キュー・ガーデンほどではないでしょうが、白鳥のいる池と庭もあります。

先ずは、キャプテン・クックから
・キャプテン・クックから海軍本部への手紙、乗組員の壊血病予防をするための麦汁補給の要請。
・壊血病予防の観点から書かれた乗組員への週間食品配給量(キャプテン・クック直筆)。
以上の2点は、長期の航海につきものの壊血病予防にどれほどキャプテン・クックが手を尽くしたか解ります。
・HMSエンデバー航海長リチャード・ピッカーズギルによるニュー・ジーランドの海図。
・第2回航海HMSレゾリューション時のキャプテン・クック直筆艦長日誌
・第2回航海HMSレゾリューション航海長ギルバートの海から見た沿岸絵入り航海日誌、
・第3回航海の時のベーリング海峡を含む北米アラスカ沿岸の航跡図
・第3回航海HMSディスカバリー航海長トーマス・エッジによる航海日誌、これはキャプテン・クックが死亡について書かれたページ。

キャプテン・ブライ
・HMSバウンティに積まれた「パンの木」の苗が、どのように積まれていたかジョセフ・バンクスによるスケッチ。バンクスはキャプテン・ブライの後援者だったようです。
・「パンの木」の実(ただし模型、キュー・ガーデン貸し出しなり)。結構大きい。
・HMSバウンティ反乱勃発当日の艦長日誌、もちろんキャプテン・ブライ直筆。
・キャプテン・ブライ作成、アイルランド南西ベア・ヘブン海峡の海図、ここはフランス艦隊がアイルランド進攻を行った場合、海峡艦隊の重要な停泊地。キャプテン・ブライが、海軍本部より航海術のエキスパートして認められていたものによる。
・キャプテン・ブライが作成し、海軍本部に提出されたコペンハーゲンの戦いの図。
・キャプテン・ブライの肖像画(1803年作)

ネルソン提督
・フリゲート艦HMSボレアス艦長時代(若き日のネルソン)ヴァージン諸島調査時のネルソン署名入り海図。
・ネルソンが右手を失う前の署名入り手紙と、右手を失い左手で書かれた書名入り手紙。右手で書かれた手紙も読めませんが、左手ではとてもネルソンの署名とは読み取れません。
・HMSヴィクトリー1805年10月21日の「3時40分、海軍中将ネルソン卿、負傷により死去」と書かれた艦長日誌、トーマス・マスターマン・ハーディ艦長直筆。ただし、通常艦長日誌は当日に書かれることは無く、翌日以降書かれたのが普通。これも同様とのこと。しかし、この一行には思わず泣いてしまいました。
・レディ・ハミルトンのネルソン提督死去以降の手紙のシール「The period to Nelson’s fame can only be end of time」
・国王ウィリアム4世(クラーレンス公時代ネルソンの友人だった)による、「トラファルガー広場」命名勅許状のグレート・シール

ま、他にもありますが重要なものはこれくらいかな。
この当時の人の直筆はインクがすでに退色しているのもありますが、英国人にも読めないらしく、重要な部分は直筆の横にタイピングしなおしたものが展示されています。
タイピングしなおしたものを読みながら直筆を読むわけですが、読めない。キャプテン・クックの海軍本部への手紙なんてどう見ても「本当にそう書いてあるの」状態。タイプライターを発明した人は偉大なり。
艦長日誌、航海長航海日誌共に大きいものです。縦は30センチ以上、厚さは7,8センチありますね。といっても後の時代のそれはもっと大きな版形の物を見たことがありますけど。
キャプテン・クック直筆の海図が見れるかと思っていたのですがそれはありませんでした。水路部が貸し出ししなかったのでしょう。NMMをはじめ先日のチャサム・ヒストリック・ドックヤードなど英国のあちこちで、トラファルガー200記念イベントが行われていますが、展示品は貸し借りしているものが多いです、特にNMMの物。

[url=http://www.sailingnavy.com/uploads/img/26.jpg][img align=left]http://www.sailingnavy.com/uploads/thm/26.jpg[/img][/url]パブリック・レコード・オフィスの展示はこれだけなので、余った時間を使い先日は休館だったウェストミンスター寺院へ、やはり歴代国王の戴冠式が行われる場所だけにすごい建物ですね。埋葬されている著名人も数多いですし。
バース勲爵士団のチャペル(ヘンリ7世礼拝堂)では、ネルソン提督の紋章銘版を見てきました。ポエッツ・コーナーでは。ハーツ・オブ・オークの作詞をした名優ディビット・ギャリックの墓を発見。チャールズ・ディケンズの墓のあるのは知っていましたけどね。ジェーン・オースティンは銘版がありました。お墓はセント・ポール大聖堂もそうでしたけど、探そうと思うときりが無いです。
残念ながら、ウェストミンスター寺院博物館はクローズド、正装のネルソン提督(もちろん人形)には会えませんでした(;_;)

帰りはウエストミンスターから、ホワイトホールをトラファルガー広場まで歩いたのですが、ダウニング・ストリートの入り口は鉄柵で仕切られ、すごい数の警官が守っています。中にはサブ・マシンガンを持った警官も。映画「ラブ・アクチュアリー」で新しく首相になったヒュー・グラントがダウニング・ストリート10番地首相官邸に入るのに大勢の国民に迎えられるシーンがありましたが、あれはやはり映画の世界です。

[url=http://www.sailingnavy.com/uploads/img/27.jpg][img align=left]http://www.sailingnavy.com/uploads/thm/27.jpg[/img][/url]ホース・ガーズの前を通ったら丁度衛兵の閲兵時間、しっかり写真をとってきました。閲兵終了後、馬の立っていた場所に行ったのですが、しっかり馬糞が落ちてました、いやなかなか良い香りでしたよ(^_^;)

ホースガーズの隣は旧海軍本部、昨年写真は写しまくったので撮影なし、しかし警備員に今は何に使われているのか尋ねたら「キャビネット」とのこと、その割りに警備が厳重ではないので、単なるオフィスでしょうね。
国会議事堂、国防省の警備なんて首相官邸入り口並みでしたから。
ロンドンではテロを警戒してか、博物館などの入場の際にバッグなど荷物のチェックをされます。ウェストミンスター寺院でもそうでした。

さて、明日はポーツマスに移動します。いよいよトラファルガー・ウィーク・エンドです。でも天気予報は雨模様なのよね。

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